執筆者:アオイ

「政治とカネ」の問題は、古くからある根深い日本の政治課題です。昭和電工事件(1948年)や、造船疑獄事件(1954年)、ロッキード事件(1976年)、リクルート事件(1988年)、東京佐川急便事件(1991年)、日歯連闇献金事件(2004年)などは、金額の大きさや現職国会議員が起訴されたことで当時の政権を大きく揺るがしました。

また、不明瞭な金銭の授受や不適切な支出が指摘され、逮捕には至らなくとも閣僚や知事などの要職を辞職することも珍しくありません。最近では、衆議院選挙期間中に、金融機関から口頭の約束のみで金銭を借り入れたことが発覚した閣僚経験者もいます。さらには、町議会議員選挙の出馬を断念する見返りに現金を渡したとして逮捕者が出ています。

このように「政治とカネ」に関しては、マスコミも大きく取り扱い、多くの国民の関心を集めています。カネで政治や行政が歪められ、特定の個人や企業、団体、業界が便益を受けているという疑念を国民が抱き、政治への不信感を増していきます。

そのような危惧は戦後まもなくからあり、民主政治の健全な発展のため、「政治資金規正法(1948年制定)」や「公職選挙法(1950年制定)」が制定されています。その後、政府の選挙制度審議会でいくつかの答申が示されるも法改正には至らず、元首相の逮捕という大事件であるロッキード事件を契機に全面的に改正されました。すべての政党と政治団体に収支公開が義務化されたことに加え、政治献金の金額に上限が設けられました。

リクルート事件に対しての世論の厳しい批判を受けて、「政治改革」が最大の政治課題の一つになった1990年代前半、政治資金規正法の政治資金パーティーに関する規制が強化されたり、
「政党助成法(1994年制定)」や「政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律(略称:政党法人格付与法)(1994年制定)」などの改革が選挙制度改革と同時に実施され、現行制度の原型が整いました。

特に、企業や団体などから政党や政治団体への献金を制限する代わりに、政党に対し国が財政的な支援を行うことを目的に制定された政党助成法と政党法人格付与法は、政党の役割を法的に位置づけ、それまで以上に公的な組織とする画期的な改正でした。

その後も、政治家と秘書の行動を規制する「公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律(2000年制定)」や、国会議員関係政治団体については全ての領収証の開示義務が課されるなど、事件やスキャンダルが発覚するたびに改正が行われました。

現在は、政治資金規正法の1994年改正で附則に明記された「会社、労働組合その他の団体の、政党及び政治資金団体に対してする寄附のあり方について、見直しを行うものとする」という条文を踏まえて、企業や団体からの政治献金の全面禁止を主張する政党の動きも見られますが、企業や労働組合からの寄付に依存している政党が与野党にいるため、その実現可能性は低いと考えられています。

失笑と共にマスコミで取り上げられるSMバーでの飲食や、女性議員の化粧品・洋服代の取り扱いも整理されなくてはなりません。そのためには、「政治活動」の定義を明確し、政治家の公私をより明確にすることも求められてきます。また、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」で資産公開が定期的に行われていますが、預貯金については定期預金のみと定められているため、預貯金額ゼロを報告する議員も少なくありません。法律や制度の目的に立ち返る必要があります。一つひとつの不備は、枚挙にいとまがありません。

これまでの幾度もの改正は、発覚した問題への対処療法的な対応に限られてきた場合が多く、つぎはぎ的な制度となっています。「抜け道」とマスコミ等から指摘を受ける新たな脱法的な方法を生み出している現状は、「ざる法」との批判を認めなければない状況です。このような付け焼き刃的な法改正では、国民からの政治家や政党への信頼を向上することは困難です。

事件がスキャンダルなどの事態が起こるたびに対策を講じること止めて、「政治とカネ」の問題の本質をしっかりと踏まえた国民的な議論を行い、政治活動全般を取りまとめる基本法(政治制度基本法(仮))の制定を検討することが、信頼向上への確実な道と考えます。

政治制度の理念を明確にし、その理念を実現させる機関としての政党や政治家の行動規範を示す必要があります。そのなかには、政党本部と政党支部の関係や、政治活動と選挙活動の整理、支援団体との人的・資金的関係など具体的な事例を現状と照らし合わせて再度見直すことも求められるでしょう。それら様々な事象を踏まえて、政治制度全体像を示さなければ、「政治とカネ」というひとつの課題を取り出して制度改正しても国民の期待には応えることはできません。

今年3月の自由民主党大会で憲法改正に向けて、4つの項目について条文イメージを提示されましたが、国民的関心が高まっているとは言えない状況です。最近の国際情勢を踏まえると、安全保障に関する憲法議論の必要性は否定しませんが、他方政治家の行動規範を改めることが、そのような改憲論議の大前提とも言えるのではないでしょうか。国と国民をリードする政治家としての自覚と責任が求められています。